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幾人かの専門家が手分けして担当する日本通史というのはいずれも客観性を重視するあまり記述が硬く、無味乾燥としていて読みづらいという印象があった。本書は「日本の歴史」のなかの一巻であるが、そういったイメージとはまったく異なり、執筆者の個性が強く出ているものである。
たとえば、本文中には「私」という言葉が多く出てくる。第一章は、「昭和六十二年十一月一日の夜、(中略)私の自宅に電話がかかってきた。(中略)断片に、象嵌されていた一文字がはっきりと確認できたという知らせであった。」と始まり、その解読作業によって判明した「王」の文字がもつ意味の説明へと移っていく。第二章も「私」の体験から記述は始まる。もうひとつ特徴的に多いのは「なぜか」という言葉である。著者の個人的な体験などを話の枕にし、次に問題を設定し、それを発掘資料などから解読、説明していく、という流れは、ミステリー小説のようでもあり、非常にエキサイティングである。
こういった個性の強い記述のスタイル、そして「とてつもない資料」「驚愕の反響を呼んだ」「全国の人々の眼を釘付けにした」という大げさな言葉の選択の仕方は、学問的な中立性を重視するものから見れば許せないものかもしれない。しかし、私のような完全な素人でちょっと古代史に興味があって手に取った、という程度の人間にとっては大変おもしろく読めて良かった。本文中で取り上げられた資料に関してはページ内に写真や図が掲載されるなど、数百に及ぶ非常に豊富な分量の地図や写真が掲載されており、イメージも膨らむ。
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